犬猫ソネチネ ( No.13 )
日時: 2008/11/16 00:00
名前: Raise

 ぼくは、バスは、河の筋に似ていると、思っている。
 人生は河のようにうたかたなのだろうが、ともかく人生は歩き回る影にすぎない、とシェークスピアは書いた。人生は空夢にすぎない、とロングフェローは書いた。人生というものは泣きじゃくり、すすり泣き、そしてほほえみででき上がっていて、なかでもすすり泣きが大半を占める、とO・ヘンリは書いた。
 世慣れもしなければ如才なく立ち回るような真似も出来ない、そんな大学生のぼくは、金のない生活に耐えかねて、きわめてドラマのないアルバイトを選ぶことにした。すなわち、大江健三郎のようなマゾヒスティックさもなければ、村上春樹のように小憎らしいアメリカナイズドされた美意識もない、著しく乾燥した仕事である。
 つまり、空地の警備。

 その空地は、工場と住宅街に挟まれて孤立していて、ぼくはツルゲーネフが書くロシアの農場のようだ、とひとりごちた。しかし空地は、冬空の苦味を土・土にたっぷりと乗せているために、建設の計画書も空のままであるのだが、そこには農場の牧歌はなく、あまりにもちゃちな犯罪計画だとか、色狂いの男女なんかの集い場となっていた。空地には、暇を持て余した老人と、リストラをされた中年の男が、近隣の人間に雇われて警備をしていた。時間を忘れて惚けるような二人の様を、ぼくは密かに軽蔑したものであった。しかし同時にまた、ぼくは二人が年齢にそぐわぬ、仕事着のユニクロのTシャツを無理に着せられ、ただ空地の外周を歩き回っては、廃材置き場の鉄パイプなんかで空を切っているところを見ると、どうしようもない憐憫が沸き上がるのでもあった。
 ぼくは懇意の工員をつてにして――土地の警備を始めた。仕事始めの挨拶に、老人は次のように語る。「きみは、まだ、じんせいを、しらない、のです、が?」続いて、中年は次のように語る。「3657」ぼくは微笑をもらしながら、さっそく仕事の説明を老人に頼む。「きみは、あきちの、けいびに、なんの、ろまんを、かんじる、の、です、が?」ぼくは溜息をついて――その空地の警備に回されていた二人は、実は精神病棟からの回し者だったということを考えると、ぼくは溜息の二重構造に浸る――土地を、歩いた。
 土地。
「27・39・42・44・71」中年は、円を描きながらふらふらと空に舞い上がる。ぼくはぼんやりとしながら、空地を警備していた。空地を、警備する。何の目的もなく、放置された空間について、ぼくは、何のロマンを描くだろうか? 気がつけば、老人がぼくを射竦めるようなやり口で監視している。ぼくは、警備されている。「17・31・5・77・99・23」中年のスカイ・ウォークについて、ぼくは何の関連性もなくエリオットを連想し、老人はそのとき、この仕事が単なる土地警備に終わらないということを証明し出したのだ――「あーむ、いっと、ぷあーず、どっぐす、あーんど、きゃーっと? きみは、あきちの、けいびに、ねこ、いぬの、ふる、を、みていて、うたねば、ならぬ、の、だ、な?」――犬・猫降りについて、ぼくは妙なエロティックを感じるものではあるが――つまりぼくはときどき、地球とか天体の類を強姦してやりたくなる――とにかく、老人は、ぼくに降り注ぐ犬・猫をぶてと言っている。ぼくはすぐに合点がいった――「92・11・43・76・56・18」――とにかく空から猫と犬が降ってくるのだから、そいつを、打ち返してやらなければならない、さもなくば……さもなくば? 土地が、埋まる。
 そう、土地が。
「1・4・7・10・13」……「93・54・78・25・3」――中年がぶつぶつと楽しそうなしかめ面でスウィングをしているとき、ポメラニアンが空から降ってきて、ぼくは思わずそいつをぶってしまった――鉄パイプは、それはもう、土地という土地ならばどこにでも転がっているということを、ぼく等はみんな、知っているはずだからね、鉄パイプの用意はあまりに容易かった――住宅街からは、動物愛護運動家からものすごいブーイングが来たが、老人はのんびりと、「あいすくりいーむ、さんでー、の、にちようび、せいしつ、について、なにが、あげられる、だろうか」と言うものだから、ぼくは思わずアイスクリーム・サンデー――「23・7・34・2・51」――をすすりながらこの仕事に興じ続けられたらどんなに幸せだろう、と舌なめずりをした。ぼくが日曜日的性質のないアイスクリーム・サンデーについて夢想するとき、今度はペルシャ猫がやってきて、そいつはぼくの性器を安部公房とかカポーティが書きそうな娼婦さながらくすぐっていったが、ぼくはとりあえずそいつも鉄パイプで遠くまでやってやった。
 ぼくは、ものすごい嗜虐をこの仕事に感じていた。土地は、可能性に満ちている。しかしここには、ジャスコも、イトーヨーカドーも、刑務所も、小学校も建設されないで、気狂いの男女か犯罪者気取りの集い場としての可能性しか許されていない――「34・75・98・46・73」――「あ、う、む、いしを、せんたくするを、たおるをたたむ、を?」――本当のことを言えば、ぼくは舞い降りる犬猫たちをパイプで殴打することなく、この土地を全て埋め尽くしてしまう選択肢だって充分にあったのだ。しかし、ぼくはこの、地方都市ならではの空地に、類希なうつくしさを感じていた。それは同時に、可能性を持つものがおしなべて孕む、不気味さでもあった。ぼくは、その日、老人と中年が持ち込んでいる狭苦しいテントに入った。饐えた匂いに何とか耐えながらも、幸福な眠りにありついたのだった。

 テントで眠るということについても、やはりそこには可能性があるのだということを、悟る。中年は相変わらず「7・4・73・5・92」とこの調子であるし、老人は「かわりばえなき、ある、ひ、ひび、つき、つき、とし、が、きみは、いきて、いる、の、だ、が?」と亡国の王宮を偲ばせるような優雅さで言って、ぼくはモパッサンのある小説を思いだしたものだった。題は、メヌエットだったろうか、ワルツだったろうか。主人公の男が、どこかの公園で、舞踏家か宮廷勤めかの老夫婦と出会う。その老夫婦は感傷的で古風なメヌエットかワルツかを踊って、そして煙のように消え去ってしまう。ぼくは、河を、思う。ロシア農場的な時間を流し続け、このテントを支えている土について、ぼくは、母なる時間の、胎動を思いながら。テントで、眠るということ、とりわけ、排泄物を老人と中年が懸命に塗りこめていて、工場の廃棄物のにおいがふんだんに立ちこめているような場合は、河の上の血、のようなものを思うのだ。ぼくは、河に血を一滴垂らし、染色の瞬間が一刻たりとも無かったことを思い出した――ぼくは丁度その頃、空から降る猫と犬のつがいを見ていて、ちょうど太陽の裏側を右手で透かして見ることが出来た。ぼくは、テントで、眠る――眠りながら、たとえばぼくは、うたかたの類のように消え去ることができるだろうか、と比喩することができる――ぼくは、空白に、眠る。

 中年と老人は、ぼくが、しばしば雑談に打ち耽っていた工員の某によれば、二人とも民族学研究者であったのだという。それが癲癇か何か、肺炎か腸チフスか何かで――たとえば、横光利一の……名前は忘れてしまったが……ナポレオンが皮膚病か何かごときで戦争を起こすなどという――なんぞを参考にしてもらえればありがたいが――簡単に気を狂わせてしまったのだという。ぼくはひどく味気の無いものを感じ、君はどうしてそんなところにいるのだ、と工員に聞かれたとき、そっくりそのままオウム返しに返すのだった。
 民族学。
 あるいはぼくは、民族学ということにも神秘を思う。民族を、研究し、解体する。たぶんそれは、民族の文献を集め尽くしたところで、まだカメレオンの秘部のような、においたつ暗黒が広がっている、せいなのだ。ぼくは老人と中年の、到底学者上がりとは思えぬような日焼けした手の爪を切る。二人の爪は浮浪者の方がまだ清潔といった有り様で、ぼくは思わず切ってしまっていたのだが――その、行為の愚かしさに気付いたときには、ぼくはすっかり後悔し尽くしていた。民族の、肌を、掻き切ろうとした、その爪を、ぼくは、切ってしまった。「54・6・52・11・95・32」と、中年はソネチネのリズムで歌い続けた。呆然とするぼくに、老人は言った。「きみは、スポーツを、し、て、い、る、の、ですよ、むく、われ、ない、スポーツ、えいきゅうてき、に、うんどう、する、の、です、な、あ?」ぼくは、テントを留める、この河を、思う。土地ということの河、で、あること。空地を警備するということの、寄る辺無い、ヒステリックさに、ぼくは泣く。

 ぼくは次第に、この仕事に倦み始めていた。それは、安部公房の「砂の女」の砂掻きとか、オースターの「偶然の音楽」の石積みなんかとは、真逆の現象だった。労働には、確かに、自浄がある。しかし労働にはまた、慣習がある。二人の民族学者は、ここに伝統を生もうとはしないが――けれどぼくは、たしかにここに伝統を持ち込んでしまっていた……それは、爪を切る一件に、帰結されてしまうように思われた。ぼくは惰性のままに、降り注ぐ犬猫たちをひたすらに飛ばし続けた。ときどきはホームラン・ショットのように良い打撃をして、このまま走り続けられたらいいなと思いながら、ふとそのとき工場横を走るバスに気がついた。
 ぼくは足を投げ出す。
 バスは飛ぶ。
 倦怠感のあふれる工員たちが、聖女像さながらに研磨されたバスに乗り込んでいくのを見ているうちに、ぼくは、土地に耳を当てることにした。バスは次第に高度を上げ、光の領分を振り切って(そのとき、何人かの老いた工員たちが墜落したのを、ぼくは忘れない)そのまま、惑星へと飛んでいく。
 あのバスがあるかぎり、……と、工員の某は、ぼくに語ったものだった。あのバスがあるかぎり、おれたちはどこにでもいけると思うんだけどなあ、それはどこの惑星までいっても、結局は運行ルートのなかでしかないわけでねえ……まあ、それもそれでひとつの選択肢なんだろうけれども……。
 あのバスに乗れないかぎり、ぼくはいつまでも自由でいられるのだろうか。

 ぼくは、土地に、円を描く。民族学者たちは、それを足で消す。ぼくはまた、土地に、円を描く。民族学者たちは、舞い下がる犬猫・舞い上がる家群を見つめながら、円の中央に座る。ぼくは、三つの円を描く。ぼくは、位置関係があるということに、ひどく満足する。そしてそのまま、舞い落ちる畜生の雨を、打つ。
 ぼくは、ソナタ的な、ひどく凡庸な永久運動に、興ずる。

 その日、ぼくはこの仕事をやめようと思った。大学の欠席日数が気になったからでも、この土地に新たな工場が建設される予定が訪れたからでもない、と、ぼくは何度も言い聞かせて、最後に、ぼくは土地の河に、別れの挨拶をした。
 ぼくは、工員の某に頼み、ボートを持ってきてもらった。
 工員の某は薄笑いを――そしてとうとうこいつもおかしくなっちまったか、という、ある畏敬に似たような感情をも――示しながら、土の上にまでボートを運んできてくれた(その工場は、いったい人の手の届くものならば、何だって作っているようなところなのだ)。
 ぼくはボートに乗る。ボートは動かないので、ぼくは大変に満足する。
「きみは、き、きみは、き、きみ、きみはね、ね、おう?」工員某の視線を気にとめることもなく、老人は言った。「きみはね、ほら、ほらら、らら? らっらら? まけたんだ、きみは」ぼくは、微笑して、それから強さを増した犬猫の雨を、打つことなく、受け止めることにした。「3・65・90・43・72」と、中年がまたソネチネを歌っている。
 この土地がなくなれば、この河がなくなれば、この人たちはどうするのだろうか、とぼくはふと思った。きっと厄介者として生き続けるのだろう、とぼくは確信した。ぼとぼとと舞う犬猫の雨に、ぼくはゲームセットを迎えたのだ。
「なあ」と、ぼくは工員某に話しかける。「あのバス、ぼくにも乗れるかな」
「ああ」工員某は関心が無さそうに言った。「工員なら誰でも乗れるさ」
 住宅街には、暇を持て余した動物愛護運動家が、ぼくの左手の鉄パイプに敵意の視線を向けている。それから、ぼくは土地を見る。土地にはまだ犬猫の雨が降っていて、動物とそれを愛護する人々の環、もう土地は予定に埋め尽くされていた。
 雨が降れば、河が生まれ、都市が生まれ、土地は死ぬ。
「そうだなあ」ぼくは、惑星行きの循環バスを、待とう。「工員になろうかな」
 やめておけ、君には向いていない、大変な仕事だから、と工員某は言った。でもぼくはそんな宣伝文句に気を留めることもなく、静止するということを止めない河の、積もりゆく時間たちについて、ぼくは、太陽に住まう犬猫を、てのひらごしに見る。

《了》