ロードムービーには王冠を携えて ( No.15 ) |
- 日時: 2007/07/15 23:52
- 名前: Raise
- 第五回短編コンテスト参加作品、Raise、「ロードムービーには王冠を携えて」
【追憶の中のクラウン】 夏の光を浴びて王冠は鈍く灰色に煌めいている。机の上に無造作に置かれた王冠達を一つ一つ猫を可愛がるみたいにして撫でたり、突いたり、弾いてみたりした。コーラのボトルに透き通る光が伝える世界をまるで秘密めいた何かの暗号みたいにして心臓を小気味よく踊らせていた。多分その硝子瓶の望遠鏡から見える世界は子供心にはあまりに小さ過ぎて、また大き過ぎたりして、あまりにも珍妙な世界だったのだと思う。 まるで精霊なんてものが童話の様に軽々しく出てくれるなら、ホロスコープの向こう側に踊る世界はそんな人達のパーティーか何かだったのだろうなんて馬鹿げた想像を追憶に耽りながらしていた。螺旋の様に渦巻いた貝殻、欠ける事無くその白を残した海からの贈り物を手で拾い上げて月にかざす。あの頃から王冠は色んな顔に変化して、落着く暇なんて与えてくれないように思っていた。三日月は紙芝居から登場したみたいに黄色くて何だか何もかもがメルヘンの世界へと飛んで行ってしまう様に思えた。そしてそれが、少し怖い様にも思えた。月の光はまぼろしの様に淀む海面の上に細やかに輝いている。波音は追憶を齎す生物だと、誰かが言っていたのを思い出す。 胸ポケットの中の懐中時計は波音よりも速いリズムで時間を正確に刻み続けている。美しく闇に没した黒の海に貝殻を放り投げる。小さな水音は、波音にかき消される。ポケットの中、今日海で飲んだコーラの王冠を何処までも遠くに行くようにと願いながら投げる。それは追憶の様に甘いぐらい遠くは飛ばなかった。 寝息の様な潮騒の音に耳を澄ませば遥か彼方の時計が吸い込んだ時間の向こうから、数え切れないほど多くの透明な手が伸びてくる様な気がした。風の無い真夜中の海が運んだ追憶の便りは、瞬間的な発光の中に確かな幸福を滲ませる。貝殻と王冠の形も闇の中に隠れ、そしてもう波が何処かの世界への路に連れ去ってしまっている。追憶の中のクラウンは、永遠に貝殻よりも遠くに行けないんだろうなあと思いながら、地面に腰を降ろして目を瞑っていた。目を瞑って潮騒のリズムに包まれたら、何処の世界にでも旅立てる様な気がした。
【背中越しのクラウン】
――明日は永遠に来ないって知ってるよね。ねえ、明日が来るって何円までなら賭けられる? そう言ってみたら、朝風は突然に黙った。四つ目のアベニューの喫茶店で、二人してアイスティーにミルクを入れて琥珀色になるまで掻混ぜていた。パラソル越しに降り注ぐ夏の光が路地に照るのが眩しい。そんな光の欠片が琥珀色のアイスティーを輝かせているのに何だか子供じみた幸福感を感じていた。 まず賭けないだろ。明日が来るとか来ないとか精神的留年族の言葉を使っても、結局明日は絶対に来るんだからな。 あー、朝風はやっぱりツマンナイ人間だよねー。絶対将来息子の夢とか崩しちゃうタイプだよねー。 そう言いながらハムとチーズのサンドを齧る。海沿いの街に訪れる人々の顔は自分の知らない顔ばかりで、何だかそれが新鮮に思える。ちょっと高校生には高い値段の喫茶店だけど、こういう秘密めいた小旅行にはうってつけの舞台なのだと思う。空には鳩がモザイクの街路に影を落としながら飛んでいる。夏の潮風がパラソルを軽く揺らす。 大体何で明日が来ないんだ、精神的留年族なりの言葉で言うとどう言うのか説明してくれ。俺にはそういう感受性とかいうのが無いから解んないし。 考えてみたら簡単な事だよ。今日の時間が続いていって、午前零時零分になる。そうしたら日付は変わるけど、やっぱりそれはその瞬間に今日になるでしょ。 それって、当たり前じゃね? 別に賭けるまでも無い事だろ、……もし賭けるとしたらさ、多分それは人間が永遠に今日を生きている方だろ。 アイスティーを啜って、椅子に座ったままちょっと背伸びして彼の返答を頭の中で反復させてみた。海の表面は太陽の輝きを全身に吸い込んで青く煌めいている。 永遠に今日を生きていくって言ってもさ、何だかそれって儚いよね。私達は、ほら、永遠を一瞬で駆けていくように生きていくんだから。 そう言うと朝風は私の頭を軽くぽんと叩いて言った。――それはお前が時間を料理するのが下手糞なだけだよ。ゆっくり見ていったら、儚さなんて無くなる。 あ、朝風も結構精神的留年族だよね。……うるさい。俺の名誉と経歴に架けて言うが俺は断じて精神的留年なんてしてないぞ。 耳を澄ませば夏の風と街の騒めきが囁く様な海の波音と重なり合う、そんな細やかな音楽の情景が聞こえてくる。会話を続けながら突然に街が沈んで、このまま海の底の様に細やかに光が零れていく幸福な瞬間が続いていく様に思えた。季節の贈り物、夏の果実みたいな日々がちょっとずつ見えてきた事に内心困惑したり、喜んだりしている。もしかするとそれは朝風が居るからかもしれない。でもそんな事を言ったら勘定を自分で背負い込もうとする彼は絶対に嫌がるだろうから、言わない事にした。
――あのさ、泊まる所、決まってるの? ――全く決まってないぞ。別に俺どこでも寝れるし。無論野宿でも良いし。 自転車の後部座席に乗る。彼が、ペダルを踏み始める。海沿いの長い長い路。硝子みたいに透明ででもその手触りを感じていける大気の壁を何枚も通り越していく。自転車の前輪と後輪が風を呑み込んでは吐き出して、そうして光に満ちた透明な大気を私は呼吸し続ける。カラフルな車が私達を追い越してはその向こう側の情景に消えていく。 ――えー。私ホテル代とか持ってきてないよ。それに最近物騒だから私野宿はパスだからね。絶対パスだからね。襲われたくなんてないし。 いやどう考えてもお前なんて襲う奴は居ない。寧ろ俺がそんな奴が居るような世界は拒否だ。そんな世界終わってるぞ、全く。 海鳥の甲高い声が聞こえて、蒼穹の海を白い翼で大気に乗って進んでいく姿が見えた。光が翼に輝いて乱反射する、自転車のスピードが上がる。 あのさっ、言った声が遥か彼方の情景へと流されて行く、あのさっ! 朝風が振り向く。何? 何だか素直に言うのは恥ずかしい様な気がしたから、声を小さくして、言う。 ……旅行連れ出してくれて、ありがと。一人じゃ勇気が無くて行けなかったんだ、でもどこかに行きたかったんだ、そしたらさ。そしたら? もう少し、世の中面白くなるかなあって思ってさ……。やっぱお前精神的留年族だわ。多分お前二十歳ぐらいになって社会の歯車にはなりたくないとか言い出すぞ絶対。 そんでどうなるかな、二十歳の私は? 今よりもっと駄目な人間になってるかな、やっぱり? 彼の言葉に私は笑う、笑い声も舞い上がる風の中に消えていく。 いや、お前は多分北海道に行く。ムツゴロウさんに憧れて突然行くだろう。俺が保証してやるぞ! 朝風に保証されても嬉しくないな、朝風は昔からよく約束破ったから。 いつの間に俺はそんな信用の無いキャラになってるんですかねー。いつまでもだよ、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと、いつまでだってもいいじゃんっ。 ――子供の頃にコーラの硝子瓶越しに見てた世界の輝きがまるでこの永遠の今日に還ってきたような気がした。茶色い流体の向こう側に魅力的で囁く様なあの光が煌めいている様な、そんな気がした。二人一緒に突然現れ出た地平線に息を漏らしていた。地平線はまるで世界の軸の形をしたブランコみたいに真っ直ぐ真っ直ぐ、何の歪みもなく青の向こう側に真っ直ぐの形状で座っていた。青のシマシマ模様が海面で浮かんでは消えている。夏の日差し、小旅行は始まったばかりなのだと思って、何だか今まで思ってきた色んな事が馬鹿馬鹿しく思えてきて、その瞬間にあー自分が考えてる事ってやっぱ能天気な一人間のユーウツに過ぎないんだなーって思えてきた。 誰かの背中越しに見る世界は、子供の玩具みたいなクラウンを引提げてきらきらと輝いていた。幸せになろう、誇らしげに雲を呑み込んで輝いている空に、ちっちゃく、囁いた。
【クラウンの発端】
――私だって、あなたに幸せで居てほしい、とは思ってる。誰だって、子の不幸に胸を痛めずには居られないから。 母さんが言っていた言葉を頭の中で反復しながら、ゆらゆらと透明に揺れる市民プールの水を見ていた。まだ開場の時間には早いから、誰も泳いでいない。ただ寂しそうに銀色に淡く輝く水が薬品の匂いを漂わせながらゆらゆらと揺れているだけだった。この薬品の匂いが好きで、だからプールサイドは好きだった。 ――離婚する様な親なんて、全く最低ね。それもこんな風に、自分の方に来ないでほしいなんて言う母親なんて、最低だと思うわ。 まるでメロドラマみたいな台詞を人間はああいう場面になったら言えるんだ、なんて酷く残酷な気持ちになりながら家を飛び出した事を後悔した。逃げるんじゃなかったなあ、なんて小さく大気に零れないように囁いた。日曜の朝、父さんはいつまでたっても土曜の深夜から返って来なかった。まるで失踪者みたいだ、と私は母が爪を何度も別の爪で引っかくのを見ながら思っていた。普通の現実が、何故だか普通じゃない方法で、普通じゃないみたいに消えていくっていうのが、何だか凄く怖くて、その夜は布団を被さっていて寝ていた。何だか幸福を連れ去っちゃうお化けみたいなのが本当に居るように思えて。 ――母さんだって、働けるわ、それは身体があるんだから当然よ、動いたら動いた分だけお金は来てくれる。でもね、あなたはもうすぐ大学受験じゃない。 大学受験かあ、とまだ目覚めきっていない空に呟いてみる。空に愚痴を言うのは、子供からの癖なのだ。 もうすぐ。そんな風に時間を使うのは何だか時間に申し訳ないなあと思えた。何だかそんな交渉に時間を持ち出すのは、時間に勝負を申し付けるみたいで嫌だった。 ――だから、私は父さんと居てほしい。幸せに、なってほしい。 幸せに、なってほしいなんて、陳腐な呪いの言葉だよね、と皮肉ってみた。でも空はそんな皮肉は知らないよと言わんばかりに雲を垂れ流しにしていた。 幸せになろう、だなんて。いつになったら幸せになれるかも解らない契約なんて、意味無いと思う。幸せになろうなんて言葉は、やっぱりそれも時間に勝負を申し付ける様な事だ。 儚く流転し続ける時間、正確に針がリズムを刻み続ける時間。いつ幸せになれるかなんて、勝負の相手の時間は教えてくれるだろうか? 多分時間は許さないんだろう。 不確定な未来に挑むなんて無価値な気がした。……解ってる、このままじゃ駄目だって解ってるけど、それでも勝負する前に逃げ出す事しか思いつかなかった。 でも、なぜか、それじゃ駄目だって解ってる、だから苦しいんだ、じゃなかったらさ、苦しいなんて訳が無いじゃん。なんて、やっぱり空に愚痴った。空に声が無いのは不公平だと思った。人間皆を見下ろせる立場に居るのに、表現の手段を何も持ってないなんて、まるで神様みたいじゃないか。そう、思った。
彼に電話をかけよう。唐突に思った。そうして、どこかへ連れてってもらおう。……連れてってくれるんだろうか、彼は。不安は糸の様に胸の中に縺れ込んだ。 でも、何もしないままだったらこの夏もいつも通り終わっちゃうんだと思い返した。……それじゃ、駄目だよね。世界と、勝負しなきゃ、駄目だよね。何だか泣きたい気持ちだったけど、そう考えていた。空には光を吸い込んだ雲の暈が爛々と煌めいている。携帯電話の番号を押す。 ……もし彼が連れてってくれるなら、ポケットを空っぽにして旅に出よう。地図に乗っている何処かでも良い、それでも良いから。どこか知らない遠くの何処かへ……。 そう思いながら、私は彼が電話に出るのを待ち続けている。
【A Marginal Girl's crown】
一日過ぎた訳だけどさ。この旅行の最後に、何処に行きたい。 青い光がまだ目覚めていない五時時の海岸で、彼がそっと呟く。そうだね、と私は考える。波音がどんどん遠くなれる事を、感じていた。 学校の屋上に、行きたい。学校の屋上に行って、朝の街を見てみたい。 解った。なら、行こう。そう行って彼は自転車のペダルを昨日と同じように漕ぎ始めていた。
――学校の屋上から見下ろす街並みは不安定で幸福で憂鬱なスカイ・ブルー、君のパーカーは風にふらりふらりと揺れている。青に呑み込まれた空の下の世界、君と私自身の呼吸を強く感じている。プールは生まれたての太陽の光をゆらりゆらりと呑み込んで何かの生物みたいに揺れている。夏の記憶を全部食べて塩素と一緒に排水場に流してしまう生物みたいで、いつもプールが怖かった。一番怖かったのは、夏の終わりの、水の無いプールサイドに輝く萎れた太陽の光。一番怖いものより、もっと怖かったのは、どんどん夜が短くなって行く夏の始まり。くるくると静かに廻る風の中で、世界はふんわりとチーズケーキの表面みたいに揺れている。 ――あのさ、昔とっても怖かった事があるんだ。太陽も、プールも、幼稚園も、小学校も、デパートも、クリーニング屋も、何もかも遠くから見たら掌の中に小さく収まっちゃう。何だかそれは、自分の知っている世界が本当に小さくて小さくて、小さ過ぎるみたいで、嫌いだった。対世界プラトニックラブっていうのかな、地図の上の自分の街がこんなに小っちゃいとも思わなかったし、地平線の果ては自分が行けないぐらいの遠い街ぐらいに思ってた。……今でも、変わらないよ、私は。 君の背中に手を当てて、別に天使の羽根とか世界の頂上に連れてってくれる様な道具も無いなんて事は知ってるんだけれど、普通の温度とか感覚とか、ちょっと小さな震えに幸福だと思えている。あのさ、キミが昔怖かった事って何かあるの。風が静まる、青ざめた世界の本当に小さなワンカットの部分の暁に、声だけが響いている。道路にはもう路線バスの緑色の車体が見えていて、また今日も日常が始まって行く事を教えてくれている。 ――昔怖かったのは、雲が同じ所に居れなかった事だった。雲の形に一つずつ図鑑を作るみたいにして頭の中でタグを貼っていく、その貼ったタグの名前を一つ一つクレヨンでスケッチブックに書いていく。そんな事、昔マンションのベランダに椅子を出してもらってずっとやってたんだけど、雲はいつまでたってもタグを貼り付ける時間を許してくれない。次第に雲に無視されているのかと思って、何か無性に悲しかったし悔しくて、ベッドでスケッチブックを破ったりしてた。 ――今見る雲って、どうなのかな。――今は別に、雲にタグなんて貼り付けないから。別に、怖くなんてないよ。 ……私は、怖いな。時計が無くても、時間が過ぎていくって事を説教されているみたいで、何だか凄く嫌なんだ。 ……それで良いんじゃないかな。時間が無いから、多分何かを愛せるんだと思う。短過ぎるぐらいの時間じゃなかったら、愛するなんて多分退屈過ぎるんだと思う。僕達みたいな精神的留年族みたいな人間は、結局時間にいつだって許しを請いているんだと思う。ちょっとずつ、何があっても、時間はどんな事をやっても正確なリズムで進み続ける。だから、そんな当たり前の事に気づけないんじゃないかな、読みたい本はいつだって読もうとした時にはどっかに行っちゃうのと一緒でね。 息を吸い込むと朝の大気が驚く程瑞々しく肺に流れ込んできた。何だかそんな事が、酷く新鮮に思えた。見ていなかったかもしれない。そんな単純な事を。 ――私達は、……精神的留年族じゃカッコ付かないよ、もっとカッコイイ言い方しようよ。……キミはこういうネーミングセンスには欠けてるから、私が決めるね。うん、異議は無い事にしよう……。 渦巻く光と青の世界、海の底でゆらゆらと揺れているような感覚を目を瞑れば味わえる。もうちょっと探してみるのも悪くないかも知れない、だって、時間は時計が無くても正確なリズムで続いてしまうものなんだから、そんな風に思ってみたりしながら、空の上に猫のサインを想像力で描いてみる。語彙を引っ張るのには時間がかかりそうだから、多分あの空色の猫は雲にのってどこか別の世界へ、血腥い戦場へも、死と隣り合わせの極楽の様な島国へも、冷たい風に固められた凍土にも、生暖かい日常と中途半端に張り付いている私達のこの街へも、何処にでも行けるだろう。君の催促が、そんな想像を無理に打ち切らせる。じゃあ、言おうか。……マージナルマンをちょっと改悪してさ、こんなのどうかな?
――世界の何処にでも馴染めない、でも境界人で居るのも怖くて、いっつも何処とも勝負できずに部屋の片隅で目を瞑って音楽を聞いている夏。そよ風みたいに生温い現実は魚の鱗みたいに張り付いているけど、本当はそれに従うなんて出来ないって知ってる。でも、ならどうすればそこから逃げ出せるのかな、なんてふと自問しちゃうと、答えが簡単過ぎるんだ、だから皆何処にも出られないんだと思う。……そう、この世界から出たいなんて思っちゃったら、それは勝負するだけでいいんだ、この世界の、ほんの小さなワン・カットのピースと。
《Fine》
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