アンノゾ祝祭譚 ( No.5 ) |
- 日時: 2008/03/15 23:59
- 名前: Raise
- 短編コンテスト最終回参加作品、Raise、「アンノゾ祝祭譚」(祝)
アンノゾの祝祭が始まったのであった。 祭前夜、犬が三匹踊り狂いながら死んだ。飼い主の老婆は、朱色の三日月に指をやっては、月が落ちてくる、早くこの街から逃げろ、と叫び続けているうちに、泡を吹いて死んでしまった。犬は皮膚病のために醜く、老婆の歯には巨大な穴があった。 楽園の熱病に憑かれている街の人々はそのようなことは気にもかけなかったが、葬儀屋リダは、ほくほく顔だった。何と言おうが、死人が出なければ、墓を掘ることも出来ないのだから。悲しんでいるのと言えば、老婆の行きつけだったというペットショップの女主人と、治療費を老婆からとうとう払わせることのできなかった歯医者ぐらいなものだった。しかし、女主人はすぐに新たな顧客を迎えたし、歯医者は早々に煙草の脂がべったり付いた歯を治療していった。 さて、リダはというと、祭の喧騒からは一人外れ、墓に老婆の名を刻んでいる最中だった。祝祭の音楽が彼方より聞こえていても、リダにとって、祝祭自体どうでもいいことであり、彼女は死者一人でいくらか、ということにしか興味が無かった。遺族の希望で、皮膚病の犬と老婆は同じ墓に埋められた――こんちくしょう、その場にいれば、そんな汚らしいものをこの墓場の土に埋めさせてやるわけがなかったのに――悪態をついている間自分が呪いの言葉を刻み続けていたことに、ようやくリダは気付いた。 花火が真昼だというのに何度も音を立てて重苦しい空に上がるのを見る度、リダはまったくこの街全部、人間も建物も馬鹿馬鹿しい赤旗も、何もかも塩漬けにしてやりたい思いだった――アンノゾ、亡国の忘れ形見、まったく、美しいものだ! リダはひとり悪態をつく――栄えある彼女の帝国兵も、異教の神が眠るこの聖地までは毀せなかった。……何度も、何度も、彼女は老婆の墓に呪詛を刻み続けた。 無我夢中になっていたからか、リダは来客にも気付かなかった。怒りに震える彼女の肩を叩く者、リダが振り返ると、寺院の慈善事業団体だった。彼らはリダにさ迷える共和国難民達への募金を募り……危うく小刀を突き刺されるところであった。彼らの訴えを聞いたのか、しばらくして警官が数名やってきたが、リダは彼らに向かって、共和国の豚、と罵るばかり、とうとうリダは狂人の烙印を押され、裁かれる法にさえ見捨てられてしまった。犬め、犬め、とリダは呪う。帝国の土に犬畜生など埋めてなるものか、とリダは魚の骨のような手でスコップを握りしめ、土を掘り返した。腐肉を何度も足で踏みつけ、人のか犬のか解らなくなった残骸を、リダは丁重に焼き、残った骨を更に砕いて自らの白粉に混ぜた。その頃にはもう赤い月が間抜けな顔を空に覗かせていて、リダはさあお披露目だと言った。粉を自らの顔に塗りたくって嘲笑う月に見せてやった。そして犬と老婆の墓石をスコップで倒してやった。そして今は亡き息子の銃を迷うことなく握り、月、墓、街に向け三発打った。最後に彼女は自分に向けて撃った。 祝祭がまもなく終わろうとする夜明けに、彼女の死体が警官達に発見された。頭は西瓜の様に真っ二つに割れ、青ざめた体を蛆虫が咀嚼していた。警官達は旧帝国兵支給の銃を回収し、彼女の息子の遺品から危険物を治安維持の名目で持ち出し、凍付いた月の下、銃弾を二発、回収した。
この街は骨董品ね、と運び屋シェラはこの街を改めてそう評した。腫れぼったい祝祭の夜、踊りながら車に轢かれて死ぬ第一の犠牲者が出たときにはもう、シェラはその渋滞に巻き込まれていた。月は紅潮し、シェラを睨みつけている。篝火が眩すぎて、星の光は見えない。人々は失われた祈りを口ずさみながら踊る。煙草を吸いながら、人々の踊る様を見ていると、人々が果物か何かに見えてきた。踊り狂うフルーツ。随分とフルーティなダンスだ、と退屈そうに街を見ながら、いつまでたっても動かない前の車を、睨みつけていた。こういった交通状態は当然に予想されていたことだったが、しかし何もこんなに長く起こらないでくれたっていいじゃない……泣きそうになりながら、しかしきっと前を見据え、ともかくシェラは後部座席の荷物に危害が加えられぬよう、と席の前に置いた。赤信号の下の街は果樹園なんてものよりずっと煩雑だった。スラムの子供はボロ布一枚、女達は裸にショールの奇態、男は神官を真似たぎこちない仮装。馬鹿げてる、とシェラは笑う、馬鹿げてるわ。そう思いながらも、シェラにはその果樹の踊りが、いかにも不気味なものに思われてくるのであった。その踊りが続き、シェラの苛立ちは募っていく。シェラが堪えかねてクラクションを勢い良く鳴らすと、周囲の人々は声を上げ、唾を撒き散らして笑った。鳴らし続けている内に、周囲の人々はクラクションに合わせて踊りだす。シェラは見るに堪えかねて目を閉じるが、しかし彼らが道路を叩く音や鼓を鳴らす音が、クラクションと同じリズムで聞こえてくる……悪夢だった――それでいて彼女はクラクションを止めることは出来なかった、止めたとき、その静寂が自分を殺してしまいそうに思えたのだ。熱帯夜は街を棺の様に取り囲む。世界中から彼女を祝う声が聞こえていた、今や彼女は罵られる帝国人だけではなく、祝われるべき神であった。やがて群衆のひとりが幸福な憎悪に囚われ発火瓶を車に投げつけたとき、彼女はアクセルを押し、――その頃にはもうとっくに渋滞は収まり、人々こそが巨大な車を停滞させた原因だったのだが――踊り祝う人々に車体をぶつけるが、それでも敵意と情熱に満ちた踊りは止まらない。シェラの唇から唾液がだらりと流れ、フロントガラスが粉々に割れ、彼女の顔が引き裂かれたが、それでも踊りは終わらず、それどころか彼女の車は突然に動かなくなった……更に悪いことには、幾本もの発火瓶が後部座席には投げ込まれていた。呪われろ、帝国の悪魔、といったタグが貼られているのがシェラには見えたが、車が動かないという恐怖が、白目を剥かせ、内蔵をミミズのようにぎゅるぎゅると這回らせていた。後部座席は空虚だった。燃え落ちる車内で呆然としていると、エンジンパーツ片手に子供達が尻を叩いて走り去っていった。どろどろと炎は神の御殿に流れ込み、月だけが彼女を哀しげに見守っていた。自分の血が紅炎と混じり合うのが見えた。シェラは最後の抵抗として、座席下の荷物を群衆に向かって投げつけた――途端に憤怒に狩られた人々は酒瓶や屑鉄、ナイフ、そういった諸々を投げつけた。そして尖った屑鉄が喉に刺さり、シェラは死んだ。続いて、帝国軍極秘輸送、と古びたタグの荷物が爆発し、幾十人もの信仰者が炎の神によって食い殺され、爆音が音楽家達の鼓膜を丁寧に潰していったが、それでも祝祭の音楽は止まらず、フロントガラスの欠片までもが踊っているような始末だった。
旅行者パキラと神官ラデヌは件の墓場で墓前に花を供えていた。祝祭の為の花が死者を飾ることとなるとは、ラデヌは嘆く。その隣、無言のパキラの手には護身用の拳銃があった。お姉さんのことは申し訳なく思っている、とラデヌは続ける。その身に纏うのは祭儀用の法衣ではなく、黒の喪服であった。無言のパキラにもう一度申し訳ない、と言い、彼は死者への聖句を唱えだした、とその矢先、パキラは拳銃は彼の後頭部に突きつける。――憎いのか、と問う。憎い、と返す。殺すまでに憎いならば、殺せばよい、そうラデヌは言い、祈りを止める様子は無い。パキラの顔は月よりも赤く紅潮し、激昂と共に言葉が駆け出した。おまえは、おまえは。おまえは、昼と無く夜と無く抱きしめられ続けた弟の気持ちが解るか、それも自分ではない男に用意された愛で、馬鹿馬鹿しい遊びに延々加わらされた弟の気持ちが、屈辱が、苦痛が解るか。濁った姉の眼にどれ程までに恐怖させられたかが解るか。夜空は月の赤に濁る。お前には解りはしない、お前には幸福な家庭があり、お前には幸福な反帝国主義がある、しかし俺には、そんなものは何ひとつありはしない、帰る家はもう無い、父は俺が生まれた後戦に駆り出されて死んだ、母は祭で帝国兵を殺そうとして返り討ちにあった、幸福なお前には、敗戦国民のお前には、この気持ちが解らない。その手は震え、銃口はラデヌの頭を引掻回す、彼はラデヌを一度蹴る、そこでようやく祈りの言葉は止まる。息荒く、パキラは彼の頭を墓石に何度もぶつける、花が無残に苛立つ足に踏潰され、墓石は微量の血で汚された。お前が殺したいのなら、言ったではないか、殺せばよい。パキラは吠える。勝手を言うな、お前を殺して何が残る、こうして銃を突きつけてやっているだけでいい、それだけでいい、お前を苦しめたい、お前を痛めつけたいが、お前を殺したくはない。そしてパキラがその身体に土の上で玩ばれているうちに、突如として銃声が鳴り響いた。月はゼラチン質のようにぶよぶよと水っぽくなり、祝祭の街を粘性の光で包込んでいる。静寂、と同時に、衝突音。頭を掴みながらパキラは辺りを見回す、と、一体何が起きたのか、彼は土の上の銃弾で悟ることになった――これは天命か、とパキラは震える声で言った。そうか、お前は、言ったな、殺したければ、殺せ、と。弾倉に、ひとつだけの銃弾。お前は、殺せと言った、お前は言ったな、お前は言った、俺は待ち切れない、ああ、月が綺麗だな、おいお前見えるか、真っ赤だ、目玉みたいに、ぷるぷるしてる、お前、泣いてるな、泣けよ、ほら泣けよ、泣け、泣けよ。パキラが渇いた笑いを漏らしながら銃弾の重みに手をひどく震わせている間、ラデヌは泣きながら祈りを続けていたのだった。そしてそれが自らの為で無くかつて愛した者への祈りだと気付いたとき、パキラの指は何者にも勝る怒りに狩られトリガーを引いていた。射撃などした試しの無いパキラの弾丸は、致命傷になることなく、内臓を無闇に食い破った。彼は悶絶する神官を見ながら、土の上に倒れ込んだが、拳銃には彼を殺す弾丸はひとつとして無かった。
警官アステは何度も自責をする羽目に陥っていた。どうしてあれをあんな女に渡す気になったのか、自分でも解らなかった。祝祭の最中で運び物、それも軍事関係の物などを請け負えるような運び屋がそうそう居るはずもなく、更に祝祭終わってすぐ次の日まで、と来ればそれこそ神様が天上のホイッスルを吹いても請負う者等居ないはずだった。それを見越していたのか、あの女――名前は何と言ったか、シェロであったか、レイラであったか、ともかく、そんな名前だった――はわざわざ基地前にまで直接宣伝しに来たのであった。警察や軍部が直々に動けば良いのだが、何せ旧時代の祝祭なのだ、そんなことをする暇があればとっくに街の警護に駆り出されている。それでも死者の数は両手指の数を越え、アステの本棚の蔵書数を越え、この街で治安維持に対して熱意を持っている者の数を越えることとなる。昼間のうちはまだいい、とアステは極彩色の夕暮れを見ながら思った。俺は、夜が、怖い。その全ては、魔物だ。いや、彼は腐敗臭がしそうなぐらいセンスの悪いグラデーションの空を見上げ、月かもしれん、と思った。夕月はもう悪魔から貰い受けたような唇をぴかぴかに光らせ、留まる事の知らない民衆の熱気と、苛立つ軍人達を高慢にも嘲笑っていた。甲虫の肉のようだ、とアステは悪趣味な夕暮れに思う。この街全体が火刑に処されているかのように蒸し暑く、人々は皆汗をかきながらそれでも狂乱の極みを尽くしていた。その力が何処から来るのか、とアステは憎悪を抱く。普段のアンノゾの今なら、徘徊老人や狂人、労働意欲の無い中年ぐらいしか出ていないのに、今ではその狂人が怯えて泡を吹いている様だった。いつもの夕暮れには絶叫している老人を保護しようとする軍人達を尻目に、アステは煙草を一本吹かす。煙があの月を肺ガンにでもしてしまえばいい、と呪う。祝う人々は一体何が為に祝えるのか。憎悪か。いや、それだけではない。月だ。あの悪魔からの贈り物が故に、彼らは歌い、呪い、祝い、狂うのだ。あの唇はきっと、道化師か天使かのを貼り付けたに違いない、そんな空想に耽っているうちに、後から呼び声がかかった。アステが煙草を路上に捨てて用件を尋ねると、彼らはあの葬儀屋の老女のところにもう一度行くのだ、と言った。何するか解らんからな、お前も一緒に来てくれるか、どうせこんなところは嫌だろう、と彼は言った。アステは頷き、熱帯夜と怠惰に挟まれた空に目をやる。これが終われば歯医者へ行こう、とアステは煙草の脂で汚れ、穴だらけになった自分の歯に嫌悪感を感じながら、月の触手から逃れたのだった。
老嬢ジルヴィンと、彼女の飼い犬三匹は、街を逃げ出そうとしている最中であった。既に祝祭前夜ということもあり、旗や篝火の準備がされ、人々はもう熱病に冒される寸前であった。そんな中、ジルヴィンは、自分の荷物を全て処分し、誰に別れを告げることもなく、街からのたった一つの脱出経路である駅へと向かっていた、娘の家に逃げ込もうという魂胆だった。駅は祝祭前ということもあり、普段とは違い昼夜問わず列車を走らせ続けていた。まもなく共和国の亡霊どもが来るのだ、とジルヴィンは恐怖しながら、必死に歩き続けていた。あの荷物が不幸を招かなければいいが、とジルヴィンは思い返す。 かつて研究者であった時代、その際に生成した爆発物を、彼女は護身用と称してずっと持ち続けていた。もう大戦からは早幾年が過ぎたが、ジルヴィンは彼女の家族や恋人がいかに酷く殺され街が略奪されていったか、をしっかりと記憶していた。月は逃亡者である彼女を嘲笑うようにけたけたと笑っていた。不意に、犬の一匹が熱病に冒された民衆のように月に向かって吠えだし、三匹とも止まらなくなった。何だ何だお前達、私を見捨てるのか、とジルヴィンが言おうとも、犬達は聞き耳を持たず、月に牙を剥くばかりであった。彼女は溜息を付き、老犬達を見捨て、自分ひとり駅まで行こうとした。その矢先、彼女の眼前で、三日月の唇が歪んだ。 月は彼女を罵倒し、彼女を辱めた。卑語、子供の叫び、ありとあらゆる手で、彼女が戦犯だと主張した。彼女が唇をわななかせながら、駅に走っていくと、月は何処までも執拗に追尾し、とうとうジルヴィンが涙を流すに至っても、月はミラーボールの様に色を変えながら彼女を縛り続けた。老犬の弱々しい咆哮がいつまでも聞こえてきて、自分が一体どこに居るのか、ジルヴィンにはさっぱり解らなくなった。そうこうしているうちに、月が黄金色の蜜を街中に雨のようにして降らしているのが見えた。月は金歯の付いた口から涎を垂らしているだけだったのだが、それが人々には光の蜜に見えたのだ。何処かで誰かが敵意ある祈りを口ずさみ、踊り始めた。ああ、もうだめだ、もう、だめだ、ジルヴィンは倒れ込む。月は街を爆撃しようとしていた、その手には無数の銃があった。老犬の咆哮は止まり、沈黙と月だけがただそこにあった。月は分裂したり巨大化したり縮小したりを繰り返しながら、段々とアンノゾに近づいていく。ああ、ああ、月が落ちる! 月は悪魔の唇だった。屈辱と憎悪の熱病に虜にされたアンノゾに、最後の接吻をしようとしているのだった。いけない、いけない、と繰り返しながら、ジルヴィンは渾身の力を振り絞り、もう踊り始めた人々に、月が落ちてくる、逃げろ、逃げろ、と言った。しかし彼らは老婆には目もくれず、幸福な渇きを感じているのみであった。その恍惚とした表情を前に、老婆は打ちのめされ、死神に命を刈り取られ、歯の穴から光の蜜を注ぎ込まれていったのであった。 こうして、アンノゾの祝祭は始まったのである。
(了)
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